今更ですが、工藤友里プロフィールです。

今更ですが、自己紹介です。

おはようございます。
国産オリジナルデザインバッグ・財布ブランド
イントロダクション
オーナーデザイナーの工藤友里です。

SNSの先生から宿題があったので、
今更ですが、敢えて今更、自己紹介します。

書いているうちに、3300文字を超えて、長々と書いてしまいました。
よければ、読んでみてください。

イントロダクションのバッグ・財布は、
こういう私が創っています。

1965年 兵庫県西宮市生まれ。
イントロダクション夙川直営店のある夙川の北側、
地元でいうところの甲山側、苦楽園で生まれ育ちました。

山の麓のバス停まで20分、バスで下山15分、帰りは迂回するからバスで30分くらいの高台の昭和初期の床の間、江戸畳、縁側のある家に住んでいました。

まだ舗装されていないような道路もあり、
孔雀が出たり、猪が出たり、
野犬狩りが来たり、
そんな昭和な世界。

この木には蝉が良く来る、
この木に蜜を塗っておけばカブトムシ、クワガタが採れる。
この木の柿は甘い。
ここには土筆がたくさん生える。
ここではワラビが採れる。
ここら辺に筍が生えている。
この石の裏には沢蟹がいそう。
この奥にセリが生えている。
この土で泥団子作ったら硬いのができる。

いまでも、湿度、匂い、息吹までも思い出せるリアリティ。

夕方日が暮れて家に帰るまでの長い長い時間に見聞きし、体験した自然の中の遊び。

間違いなくこの五感で感じた幼少体験が、
水脈を読む、蝉はお尻から捕まえるのではなく、頭から羽根の根元を抑えて採るなどのコツが、
今、仕事で営業していく時の原点です。

苦楽園口の小学校には、バスでこの道程を6年間毎日通ったので、足腰は強く、体力だけは人一倍あります。

小学校時代の親友とは、今考えるとよく親に怒られなかったなと思うような怖い遊びばかりしてました。

六甲山脈には大阪城などに使われる巨大な岩がゴロゴロしてるのですが、その岩と岩の隙間の下に基地を造り、潜り込んだり、
朝6時に待ち合わせして、ぐるりと森を回り井戸で水を飲んでブランコ乗ってから登校したり。

自宅に正月には、入れ替わり立ち替わり、父の会社の若い人が多い時で50人来た事もあり、
目上の人に臆することなく、育ちました。

中学時代は朝から晩まで吹奏楽部でクラリネット。
来週みんなで集まります。

楽器は小さな頃からピアノ、
上手くなかったですが、発表会のドレスが楽しみで、
小学校3年生から大学生まではお琴と、途中から三味線もしていたので、
毎年着物を着て、大阪の御堂会館で発表会でした。

書道は小学校入ってから高校まで。

高校時代は、硬式野球部のマネージャーを朝練から夜帰るまで、正月元旦から明け暮れてました。
今でも仲良しです。

短大時代は普通の短大生。
当時は女子大生ブーム。
テレビ「鶴瓶と花の女子大生」なんかに友達10人くらいでおニャン子クラブを歌って踊って予選突破し、ひな壇で出て、クイズか何かに正解したかでスポンサーから1年間分のトイレットペーパーが送られて来たこともありました。

「女は一緒食べていける職を手につけるべき」と、父に幼少の頃から言われていて、大学は特にしたい事があった訳でないので、資格の取れる幼児教育科へ。

短大出て芦屋市の幼稚園教諭を4年したのち、
子供の頃から絵が得意で、入賞とかしていたので、イラストレーターになろうと、夜間美術学校に通っていたのですが、そこの先生に、「すごく素敵な女性がいるから会って話し聞いて来てご覧」と紹介されたのが、
始めに入ったバッグブランドのオーナーデザイナー。

バッグのバの字、デザインのデの字も知らない私は、
初めはクリスマスカード作ったり、商品リスト撮影、展示会案内状やDM作りから入社したのです。

当時はバブル時代。

美味しいもの食べに連れて行ってもらったり、
美しいものを観劇、鑑賞させてもらったり、
DM撮影だけでニューヨークに連れて行ってもらったり。
まだ入りたての私に、見聞だけのために、
イタリア、フランスに行かせてくださったり。

なんと言っても、オーナーの周りの交友関係の集まりに色々連れて行ってもらったこと、
一流のカメラマン、当時最前線のグラフィックデザイナー達と、
カタログ作り、DM撮影に、
毎年関わらせていただいた事、
当時はCIブームで、ブランドツールをロゴから店舗、紙袋まで一新する窓口に、外部デザイナーと仕事させていただいた経験は、
デザイナー以前、美意識の基準を形成してもらえました。

その後、オーナーからデザインをしてみないかと声をかけられ、その時のやり取りは鮮明に覚えています。

「私にデザインなんてできるんですか?」
「仕事は好きで素直ならできていく。」
「その代わりできるようになるまで、10年かかる。
器用でない方が伸びる。器用でない方がああでもないこうでもないと試行錯誤して、振り返った時に自分だけの道が出来ていくから。」

その時25歳。

そこからガラリと物を見る角度が変わり、
バッグ以外の物でも、
どうやって作られているんだろう?
と言う視点でモノの形状を捉えています。

その視座の積み重ねがデザイナーの根幹になっていきました。

その日から今日に至るまで、1度たりとも仕事を辞めたいと思ったことはありません。

初めの会社に長男出産を挟み12年、
この頃には自分で仕事をしたいと思っていたので
違う角度から後2〜3年、バッグ作りを勉強したいと、
通勤時間片道1時間45分かけて、
ヨーロッパから最新の資材、サンプル、情報の入るメーカーにお世話になりました。

はじめの会社は企画は社長と弟子の私だけでしたが、
次のメーカーは企画室が6名、先輩、後輩もいて、
今振り返っても、今でも集まりますが、
実力のある、充実した企画室メンバーでした。

私はサザビーや阪急百貨店オリジナル、自社ブランドなどを担当。

会社は皇室バッグや銀座和光など、
正統派のバッグメーカーで、それを支える高度な技術を持った職人が何人もいて、それを支える職人が何十人もいた物創りができる会社。

そこの環境が、デザイナーとしての幅を持たせてくれました。

メーカー2社の企画デザイン契約から始めたフリーランスのデザイン事務所を1年半したのち、
2006年企画デザイン会社設立。

メーカー、
商社、
アパレル、
セレクト、
ステーショナリー、
テレビ、
タレント、
通販、
ランドセル、
幼稚園バッグと、
様々なブランドの、幅広いバッグ・革小物の企画に携わらせてきてもらっています。

企画業務と並行して、
売るためのデザインではなく、愛着を持って使い込んでもらえるバッグ・財布創りを制約なく創りたいと、
2009年自社ブランドイントロダクション、コレクションスタート。

一緒に働いてくれるスタッフ、お客様、仕入先に支えながら、
今日に至ります。

趣味は国内外の無計画な旅行。

海外はエアーチケットとホテルだけ取って、
後は現地に着いてから考えます。
五感をフルに使って、普段使わない脳ミソを使うので、年に数回、定期的に出かけます。

30数カ国。

変わったところでは、ネパール、アラスカ、
最近ではモンゴルに行きました。

国内は、近くのプチ贅沢な宿でのんびりが多いです。

後、デザイナーとしてはプロだと自負していますが、
年齢と共に感覚が訛っていかないように、
様々な綺麗なモノ、話題のモノは見るようにして、
常に時代とずれていかないか、
危機感を持っていたいなと思っていますが、
経営者としてはまだまだなので、
経営者の勉強をして、
知らない事を知っていくのが楽しいです。

私にないモノを持っている人と会って、
美味しいモノ食べに行くこと、話しすることが好きです。

何よりも好きなのは、子供達といる時間です。
たまに帰ってくる下宿している大学生の長男、
高校生の次男、
バーを経営している旦那との、
何をするでもない時間は、
これからもっと確保していきたいなと思っています。

そんな等身大の私がデザインするブランド、
あれもやりたい、
これもやりたい、
まだまだやれていないこと満載のブランド、
イントロダクション。

プロとアマの違いは覚悟だと言われた事があります。

私にとっての覚悟は、
生涯働ける限り、
手に取っていただけるその1人のお客様が、
その人のかけがえのない生活の中で、
少しでも、
ストレスなく溶け込むような、
そんな心に寄り添う、
愛着を持って使い込んでいただける、
かけがえのない、バッグ・財布創りを目指していきたいと思っています。

どうぞ、これからも、よろしくお願い申し上げます。

一緒にブランドを育てていってくださいね。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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